マンチェスター爆弾テロの犯人の驚くべき素性(抄訳)

父親は、ガダフィーのリビア情報局の元将校だった。


May 29,2017


海外ニュース翻訳情報局より

マンチェスターでの痛ましい爆弾テロの犯人ついての報道が海外ニュースでは沢山でています。一つの記事をもとに翻訳するつもりだったのですが、英語、フランス語、イタリア語と微妙に情報が異なります。 

ただひとつわかったことは、この犯人の父親についての興味深い記事がいくつかでていましたのでこの記事をもとに、父親に焦点を絞りご紹介いたします。

このテロのようにひとことにテロといっても、平和な日本に住んでいる私達には想像もつかない、パズルのような複雑な組み合わせの背景があるということが少しでも感じていただけたら幸いです。


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スコットランド・ヤードによると、5月22日のマンチェスター・アリーナでのアリアナ・グランデ・コンサートの観客に対する攻撃は、サルマン・アベディによって実行された。

クレジットカードが、「テロリスト」のばらばら死体のポケットのから都合よく見けられた。

この攻撃は、英国が国際テロリズムに関与しておらず、逆にそれどころか被害者であるという証拠として一般的に解釈されている。


犯人のサルマン・アベディはリビア系移民の家族のもとで英国で生まれた。


彼は父親の有無にかかわらず、ここ数カ月間の間に数回リビアに渡航していた。


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彼の父ラマダン・アベディは、サルマンと一緒に住んでいたが、[カダフィーの]リビア情報局の元将校である。


彼はイスラム主義運動の監視を専門的にあつかったが、20年後に彼の息子がイスラム国(IS)に加わったことに気付かなかった。


1992年、ラマダン・アベディは英国のMI6によってリビアに送還され、ムアマル・カダフィを暗殺する英国が立案した計画に関与した。

この工作は簡単に暴かれた。MI6によってこっそり脱出し、英国に戻って政治亡命を受けた。


彼は1999年に、マンチェスターの南部のウィアレイ・レンジに移住した。

そこにはすでに小さなリビアのイスラム教徒コミュニティがあった。


1994年、ラマダン・アベディはMI6の指示に従ってリビアに再び戻った。


1995年後半には、アブデルハキム・ベルハジと共に、アルカイダの地方支部であるリビアイスラム戦闘グループ(LIFG)の創設に携わった。


その後LIFGは、カダフィを暗殺するため10万ポンドの報酬で、MI6に再び雇われた。

この工作も失敗し、英国情報機関内で激しい議論が交わされ、デビット・シャイラー氏一人を辞任させた。


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LIFGの他の元メンバーもまた、アベディの友人アブド・アルバセット-アゾズもウィアレイ・レンジに住んでいた。


2009年に、この最後にパキスタンのアルカ​​イダに加わり、トップのアイマン・アルザワヒリと親しい間柄になった。


2011年には、アイマン・アルザワヒリは、リビアに対してNATOの工作員として現場で活動した。

2012年9月11日、ベンガジで暗殺されたリビアの米国大使クリストファー・スティーヴンズ氏に対して工作を命令した。

彼はトルコで逮捕され、2014年12月に米国に引き渡され、裁判がまだ審理中である。


ラマダン・アベディが、LIFGメンバーをイラクのアルカイダの編成を関連づけたという事実に誰も注目しない。


そして、2011年にはMI6の「アラブの春」の活動においてNATOを支援する立場でLIFGの役割に参加している。


いずれにしても、アベディはカダフィ大佐の崩壊後リビアに戻り、家族をそこに移し、家族の中の年上の子供たちをマンチェスターのウィアレイ・レンジに残した。


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前スペイン首相のホセ・マリア・アズナール氏によると、アッスハルハキム・ベルハジは、2004年3月11日のマドリードでの暗殺に関与していた。


その後、CIAによってマレーシアで極秘逮捕され、リビヤに移動された。

リビア人やアメリカの職員ではなくMI6エージェントにリビアで拷問された。

彼はサイフ・アル=イスラム・カダフィ(カダフィ氏の息子)とジハードの間の協定の後、ついに解放された。


リビア戦争では、カタールに住んでいたベルハジは、カタールの首長の好意でリビアに戻り、NATOと組んで現場での工作を命じた。


2011年7月28日に、彼は「反政府勢力」に加わったと主張したが、1990年代にLIFGとの闘いを監督したとしてベルハジが非難したアブドゥル・ファタハ・ヤニス将軍の暗殺を組織した。


2011年9月、ベルハジはNATOによってトリポリの軍事知事に任命された。


2012年には、アイルランド系リビア人マフディー・アルハタリによって助けられ、彼は、自由シリア軍を創設し、再びリビアに戻った。


2014年5月2日に、彼はフランスの外務省ケ・ドルセーに公式に受け入れられた。

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2013年12月には、MI6の前長官からカダフィ大佐の文書が発見された後、ベルハジは9年前に彼が誘拐され拷問されたことから、英国対しロンドンで訴訟を起こした。


英国情報局は、最終的に得られた情報を破壊するよう強いられているが、彼の弁護士を違法に電話で盗聴していた。


エジプトの検察総長、ヒシャム・バラカットによると、2015年5月、ベルハジは北アフリカでイスラム国の最も重要な役職に就いた。これはインターポールの主張である。


ベルハジは、アブド・アルバセット-アゾズの以前の地所であったデルナ、スルト、サブラタでリビアにおけるイスラム国のために3つのトレーニングキャンプを設置している。


2016年10月に、彼は誘拐と拷問に関するロンドンの新しい訴訟手続を開始した。

この時は、名目上MI6の元長官マークアレン卿に対してだった。


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イスラム国はマンチェスターの攻撃に対する声明を主張しているが、サルマン・アベディを「殉教者」として記述していない。


暗殺の後、ラマダン・アベディは、ジャーナリストとの電話会話でジハードに反対すると宣言した。

彼はまた、彼の息子が5月26日にラマダンの月をリビアで過ごそうとしており、彼の無実を確信していると主張している。


Translation  Evan Jones (English)   Mariko kabashima (Japanese)

参考記事 :

海外ニュース翻訳情報局

トランプ大統領誕生において、日本に入ってくるメディアの情報があまりに偏った情報が多いので、私共が目にしたニュースなどや公式発表をできるだけ客観的に翻訳しました。 私共の記事を読んでの判断は、各自ご自身でお願いします。